超新星1987Aの一生


爆発600万年前
大マゼラン銀河で太陽の18倍の質量をもつ恒星"サンドゥーリアク"が誕生。

爆発5万年前
中心部の水素が尽き、ヘリウムの核融合が始まる→赤色超巨星になる。

爆発2万年前
→赤色超巨星になり急膨張したことにより、表面重力が低下。この時をはじめ、赤色超巨星時代に数千年に渡り外層部のガスが宇宙に流出し、青色超巨星になる。

爆発1万年前
中心部のヘリウムが尽き、熱を出せなくなり収縮していく。

爆発500年前
炭素が核融合を開始する。以後、どんどん核融合反応が起き、周期表の鉄までの元素が生成されました。

爆発2時間前
中心核の崩壊が始まり、1058個のニュートリノが生成されていきます。このニュートリノは中心核の崩壊で生成されたエネルギーの99%を奪っていきました。一方、外層部は猛スピードで中心核へと落下していき、超高密度に圧縮された中心核に激突。その時、中心核の崩壊で生成されたエネルギーの1%に相当するエネルギー(それでも太陽一生分の5倍)を秘めた衝撃波が発生。表面へと伝わっていきました。

爆発の瞬間
表面に衝撃波が到達。星は秒速数千kmで粉々に吹き飛びました。もし、周りに惑星があったなら、この衝撃波と膨大な放射能で地表は破壊し尽くされたことでしょう。

出現2時間前
日本時間1987年2月23日午後16時35分35秒に中心核の崩壊で生成された1058個のニュートリノの内の11個がスーパーカミオカンデで検知されました。超新星となった星は南半球からしか見えない位置にあったため、ニュートリノは南半球の空から飛来しました。そして地球を貫通して地中からスーパーカミオカンデへ進入。そのまま光速で北半球の空の彼方へ飛び去っていきました。


1987年2月24日午前2時半
チリのラス・カンパナス天文台で助手として働いていたイアン・シェルトンという人物が 時代遅れ扱いされ、放置されていた口径25センチの望遠鏡で大マゼラン銀河を撮影しました。すると、タランチュラ星雲の横に見なれない点を発見。イアン・シェルトン氏は天文学者が捨てた不良品の写真乾板を使って撮影していたため、始めは傷だと思ったようです。しかし、傷にしては変だと思い外に飛び出し、夜空を見上げました。そして、見なれない点が写っていた場所で5等級に輝くSN1987Aを発見したのです。


1987年2月24日午前10時
1987年2月24日午前10時にSN1987A出現の情報が世界中に配信され、観測が始まりました。この時ほど同時に世界中の観測機器が同一天体に向けられたことはない、といわれるほど天文関係者はSN1987Aに注目しました。というのもそれまで超新星について様々な研究がされていましたが、誰も肉眼で見える実物を見たことなく、推測するしかなかったからです。だからこそ、SN1987Aは超新星の貴重な実例として世界中で観測研究が行われたのです。


1987年7月06日
日本の人工衛星"ぎんが"がSN1987AからのX線を観測。すると、予測より半年早くSN1987AからのX線を検知。これ以前は核融合で生成された重元素に邪魔されてX線が宇宙空間に出てくるのはもっと遅くなると考えられていました。爆発直前の恒星内部は中心へ向かうほど重い元素が溜まっている層があるタマネギのような構造をしていて、星はこの状態のまま爆発すると考えられていました。しかし、SN1987AのX線観測で爆発時に恒星内部が激しくかき混ぜられている可能性が高いことが分かりました。そのような理由で推測ほどX線は重元素に邪魔されずに宇宙空間へ抜け出してきたわけです。

1987年10月31日
アメリカで気球を使ってSN1987Aからのガンマ線が観測される。

出現400日後
赤色超巨星時代に放出した1光年先のガスに爆発時の光が到達し、輝きだす。

1994年
赤色超巨星時代に放出したガスに爆発時の衝撃波が到達し、輝かせているのをハッブル宇宙望遠鏡が発見。


数十万年後
ガスが宇宙に拡散し見えなくなる。

数千万年〜数億年後
SN1987Aが放出した物質が新たな恒星や惑星の一部となる。

数十億年後
SN1987Aが放出した物質が知的生命の体を形成することになるかも!?
参考

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